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物理メディアという手触り

Posted on:2026-07-10 at 03:00 PM

例年より遅い梅雨で中々気分も晴れない 7 月初旬に悪いニュースが入ってきた。

ソニーが物理メディアの販売を 2028 年以降行わないと発表した

これについて海外では消費者の権利を巡って大炎上しており、ブログには 8 千件のコメント、 X.com の公式の発表には 2026/07/11 現在約 10 万件のリプライ(ほぼ全て批判)が寄せられている。また3日の静寂を置いて再開されたポストには毎投稿 1 万件のコメント(ディスクの件)がされており、なお収まる気配はない。

以下のような物理メディアコレクターからの怒りの声も大きい

Change.org ではディスク廃止に反対する署名運動が開始され現在 20 万票以上を集めている

Reddit などのフォーラムにも多数のコメント数がついており、なお炎上が収まる気配はない

Digital Foundry says this Sony digital only backlash is worse than the infamous 2013 Xbox mandatory DRM backlash that lost them the following 2 gaming generations. “Sony tried to upend the whole way people buy games with a 3 sentence blog post”.
by u/JeremyJJ77 in PS5

ソニーはなぜこのような発表を行ったのか?というと

SIE は、ディスク廃止について、そこまで深く考えていないかもしれない。

2028 年ディスク生産中止 SIE が決断した「ゲームディスク流通」終了の背景

これが真相な気はしている。この発表がもたらす結果の割にはブログというアンフォーマルな場であることや、発表文自体の短さ。また

As consumer preferences and the broader entertainment industry continue to shift away from physical discs to digital

のようにどちらかというとこれが「悪い」ニュースではなく「良い」ニュースとしての体裁で発表していることから分かる。

しかしそれでコアなゲーマーからの信頼を失ってしまった。

物理メディアという手触り

自分はフィジカルメディアにおいて熱心なゲーマーというわけでもなく、最近は長いこと物理でゲームを買っていなかった。最後に買ったのは Switch と同時に買ったゼルダの伝説ブレスオブザワイルドだったと思う。Steam をメインにして長いこと経つ。

しかしそれでもフィジカルゲームメディアは重要だと思う。

なぜなのか?

というと、やはり所有権であり、それを所持しているという感覚があるからだ。

自分が所有しているという感覚、確かにそこにモノがあるという実在性・身体性の感覚、そういったものが今なお重要になってきていると感じている。それはテクノ・ファシズム化していく世界と無関係ではない。

これを多くの人が危機感として感じているからこそ、このバックラッシュとなっている。

ゲームというのは本来全てデジタルで仮想の世界だし、デジタル媒体で済む。

しかし、だからこそ逆説的に現実的である必要性がある。

音楽市場では

かつて音楽市場においてアナログレコードは忘れ去られた過去の媒体だった。

しかしストリーミングが爆発的に成長しもはや音楽市場の主流となってなお、フィジカルメディアは成長をしている。

アナログレコード 37 年ぶり 80 億円超。‘25 年の音楽ソフト生産数は前年比 101%

ここには相補的な関係がある。

ストリーミングはフィジカルを置き換えるものでもないし、フィジカルはストリーミングを置き換えるものでもないという関係だ。

どちらも完璧ではないからこそ、どちらも必要としている。

自分も音楽鑑賞を趣味としていて複数のストリーミングサービスを契約している。毎日のように新譜が出る現在のチャートを追うにはフィジカルは現実的には難しくそもそもフィジカルでリリースをしないアーティストも多いからだ。

しかし、フィジカルのヴァイナルレコード、CD、カセットは今も手元に増え続けている。最近はもっぱら置く場所の空きが買える上限になっているが、今後もフィジカルメディアを買うのを辞めないだろう。

データと所有権

本質的に言えばこれは複製可能性の問題なのだと思う。

フィジカル媒体の音楽もゲームも複製可能なものだ。様々な媒体に複製可能な芸術で、芸術の現前性そのものを所有しているわけではない。

しかし逆説的に複製芸術だからこそ複製可能性そのものが重要になる。複製媒体には芸術そのものは現前しないが、時間と場所に対して透過的に扱える。つまり遠い未来でもどんな場所でも再現出来るという価値がある。

ストリーミングは結局のところライセンシングの一形態にすぎず、複製を持つ権利すら与えられていないためライセンスが切れるとそこで消え去ってしまう、ただライセンス上許された機器と時間の中で再現出来るという契約だ。そこには本質的には時間的透過性はないし場所的透過性もない。

金銭を対価に一時的に芸術や文化を享受する権利を付与されているに過ぎないというデータ所有権の非対称性がここにはある。

芸術や文化を享受する権利が一私企業の経済的合理性に全面的に依拠しなければいけないとしたら芸術というのは随分退屈なものになるだろう。

おわりに

ライセンサーとライセンシーの非対称性がある限りフィジカル媒体の必要性は今後も無くならないだろう。本も音楽も映画も、ゲームも。